「私は価値がない」「私はダメだ」「死にたい」…
こんなふうに思っている人は実はとっても多いです。
ボクもそうでしたし、まあ「死にたい」とまでは思わなくても、「私はダメだ」と思っている人はたくさんいます。
というか、思っていない人なんてほとんどいないと思います。
程度の差はあれ、自分に価値がないと感じる「無価値感」は誰にでもあります。
無価値感を持つのは無理はありません。なぜなら、社会構造上、無価値感を持たざるを得ないようにできているからです。
たとえば、勉強ができないとそれだけで自分はダメなんだと思ってしまいます。
スポーツができないと自分はダメなんだと思ってしまいます。
「勉強ができない」=「そんな自分は価値がない」
「スポーツができない」=「そんな自分は価値がない」
「○○ができない」=「そんな自分は価値がない」
そんなリンクを自動的にしてしまいます。
ボク自身もずーっと長い間、自動的にそういうリンクをしてきました。
でも、本当は「勉強ができないこと」と「自分の価値」とは全く別物なんです。
勉強ができる人にとっては、スポーツでも、音楽でも、稼ぐ力でも何でも自分が重要視していることを考えてみてください。そのことと「自分の価値」をリンクしていることに気づかれるはずです。
なぜ、自分の価値とリンクさせてしまうのでしょうか?
実際に社会ではそういう価値評価がなされているからです。そういう教育を親や学校、社会から受けてきたからです。
【勉強ができる→いい大学に入れる→いい会社に勤められる】
そのため、社会の価値と自分の価値をリンクさせて、社会の価値に従って、努力します。また、その努力が賞賛されるために、ますます、価値のリンクは強まるのです。
セルフラブ(自己愛)を高めるとは、ありのままの自分を受け入れるということですが、別の言葉で言えば、社会の価値と自分の価値のリンクを外すことでもあります。自分の価値は独立しており、社会の価値がどうだろうと自分の存在に最大の価値を与えています。
誤解しがちなので付け加えますが、
「勉強ができない⇒劣等感を持たないようにする」
ということではありません。
算数ができないことで、自分は算数が苦手なんだとしっかり認識することは必要です。
算数ができないという事実をきちんと受け入れないのは単なる現実逃避です。抑圧です。これはポジティブシンキングでも何でもありません。
「算数が苦手である=自分はダメだ」というリンクをしない限り、劣等感はあっていいし、あるのが自然です。
要は自己価値と結びつけないということが大事なのです。
でも、自己価値と結びつけてしまいますよね。頭でわかっていてもなかなかできないものです。
それは過去のイヤーな体験があるからです。
たとえば、算数ができないことで母親から強く怒られたこととか、野球でミスをして友達にバカにされたとか、そんなイヤーな経験は誰しもありますよね。そういう嫌な経験があるために、頭でわかっていても、勉強やスポーツや何かと自己価値のリンク付けを外せないんですね。
だからこそ、セッションで過去の経験を癒すことが自己価値のアップにとても効果的なんですね。
次回もこの続きを書いていきます。