ボクはセッションでセルフラブ(自己愛)を高めることをやっています。
問題の解決を通じて、セルフラブを高めるセッションをしています。
今、仮に自分が親の立場で、子どもかいて、子どもの頭が悪く、テストの点数はいつも1ケタの点数だったとします。
親としてはものすごく心配になりますよね。そして、せめて人並みの点数を取ってほしいと思うでしょう。
だから、ほとんどの親は子どもにはっぱをかけます。アメとムチでやる気にさせたり、勉強を教えたり、塾に行かせるなどしてどうにかして子どもの成績を上げようとします。
それが子どものためだから。子どもが将来苦労しないようにという親の愛だと思っています。
このとき、自分が子どもの立場だったらどう思うでしょうか。
ちょっと想像してみてください。
ボクだったら、「頭が悪いボクはダメなんだ。頭が悪いと親から愛されないんだ」って思います。
そして、「本当は頭が悪いボクもそのまま愛してほしい。無条件で受け入れてほしい」と思います。
それなのに子どもを条件つきで愛することしかやっていません。
「あの中学校に入ったら、スマートフォン買ってあげるよ」
「いい子だから、○○ちゃんのことが大好きよ」
ほとんどの親が条件つきの愛情表現しかしません。
「お父さんはたとえお前が人を殺して迷惑をかけたとしても、絶対におまえの味方だからな」
「お母さんはあなたがどんなことをしてもしなくても、どんな人間になっても、大好きよ」
そう子どもに言える親がどれだけいるでしょうか。
ちなみにボクは教育とは頭をよくすることでも成績を上げることでもないと思っています。
教育とは、その子は頭が悪く、成績が悪いままでも自分を受け入れられること、幸せであることを教えることだと思っています。
教育だけではありません。
たとえば、自分の愛する人が病気になったとします。病気が回復することを心から願うでしょう。
そのときよくやりがちなのは「病気でないあなたであってほしい」と強く願うとともに、「病気であるあなたはダメだ」という思いを自然に発することです。
それも条件つきの愛です。
相手が病気であること、病気になること、具合が悪いこと、それを許可していないのです。
病気であることもひっくるめて、自分を受け入れてほしい。そう思いませんか?
いかに他人を条件つきで好きとか嫌いになっているかということに気づいてください。
愛する人から条件つきで愛されたいですか?
「一流企業で働いているあなたは愛しますが、リストラにあったら別れます」
「ちゃんと家事をやっているあなたは愛しますが、家事をやらなくなれば別れます」
嫌ですよね。
そして、一番愛されてしかるべき人――自分自身――から条件つきでしか愛されていないことに気づいてください。
こういう自分ならいいけど、こういう自分はダメ――こんな基準があればあるほど、条件つきでしか愛していないことになります。
そのままの自分を愛するということがセルフラブ(自己愛)です。
できるだけ条件をつけずに自分を愛することができるほど、相手も同じように条件なく愛することができます。
まずは自分自身の条件を外すこと。
それには、自分の持っている価値観に気づき、その価値観を外すことです。ものさしを外すことです。
価値観から自由になればなるほど、自分を愛する条件が消えていくのです。
自分を愛する条件が消え、ありのままの自分を愛すことができるほど、幸せはあなたの元にとどまるでしょう。
いつも、素敵なお話をありがとうございます。
こちらこそ、読んでくださってありがとうございます。
これからも素敵な話を書いていきます!!