苦しみに直面すると起こること
私たちは、自分の心の傷に触れたとき、何らかの防衛反応が出ます。
「エゴのメカニズム」に書いたように、心の傷や自己の価値を失うようなこと、恐怖に直面すると、その状況を回避しようといろんな方法を取ります。
例を挙げましょう。
その人と一緒にいると、居心地が悪くなります。
出てくる思い
このとき、いろんな思いが出るかもしれません。
「私が何か悪いことしたかな?」
「どうにか怒りを鎮めてあげたい」
「面白い話ができたらいいなぁ」
「どうしたのかなぁ。癒してあげたいな」
「なんで怒ってるんだろう」
「こっちまで不愉快になるからやめてくれないかな」
「一緒にいたくないなぁ」
「きまずい」
「影響されないようにしよう」
取る行動
また、取る行動もさまざまです。
立ち去るかもしれませんし、相手に注意するかもしれませんし、睨み付けるかもしれませんし、我慢してじっとしておくかもしれませんし、相手に話しかけるかもしれませんし、何もしていなくても頭の中は相手のケアをしている思いであふれているかもしれませんし、怒りが出てくるかもしれませんし、自分のせいだと考えて緊張したり落ち込むかもしれません。
このときやる行動は、相手を変えようとする、または状況を変えようとする行動です。
あるいは、状況が同じでも苦しまないように自分を変えようとします。
同じ状況が起こらないように行動する
この状況が次に起こらないようにするための行動を取ります。
相手が怒らなくなったらOKなので、相手を変えようとします。
相手が怒っていても、それを回避できる術があればOKなので、状況を変えようとします。
例えば、トークスキルを身につけるなど
あるいは、この状況が再び起こっても苦しまないように自分を変えます。
感情を抑えて感じないようにしたり、考え方を変えようとしたりします。
これが、私たちが一般的に取る行動です。
別の言葉で言えば、自我の通常の反応です。
この方法はうまくいかないことも多い
これらの行動は、普段、当たり前に取っている行動です。
但し、結果的にうまくいくこともあればうまくいかないこともあります。
相手や状況を変えるのはなかなかうまく行かないものです。
また、感情を抑えたり、考え方を変えるのも限度があります。
挙げた例であれば、以下のようなことが難しさを表しています。
- そもそも相手を怒らないようにさせることが難しいということ。
- 仮にその人が怒らなくなったとしても別の人が怒ったときはまた同じ状況になること。
- 状況はケースバイケースですべての状況に有効なスキルはないこと。
- 感情を抑えようとしたり、言い聞かせたりしても恐怖などはなかなか抑えられないこと。
なので、根本的な解決にはなりません。
私が提唱する苦しみへの対処法
私が提唱する苦しみへの対処法は、相手や状況を変えようとするのではなく、まったく別の方法です。
解釈に目を向ける
状況に対する「解釈」に目を向ける方法です。
その人と一緒にいると、居心地が悪くなります。
この例だと、相手が怒っていて、そこにストレスを感じるのは、今の状況をどう解釈しているかです。
誰もが大きなストレスを感じるわけではありません。中には全然平気な人もいます。
相手が怒っていたとしてもそこにストレスを感じなければ苦しみはありません。
つまり、大事なのは、相手が怒っていることをどう「解釈」しているかということです。
このとき、たとえば「私が不快にさせるせいで怒っているんだ」と解釈すれば、苦しくなるでしょう。
「自分には関係ない」と捉えていれば、そこまで気にならないかもしれません。
「大切な人を失って怒っているんだ」と解釈すれば、同情するかもしれません。
解釈の元になるビリーフに目を向ける
このとき、たとえば「私は人を不快にさせる存在だ」とか「私は人から受け入れられない」とか「私は劣っていて魅力がない」というビリーフがあったとしましょう。
このビリーフを強く信じているから、解釈が発生し、苦しみにつながる思いや感情が生まれます。
ビリーフや恐れに向き合うこと
解決のために重要なことは、このビリーフや恐れに向き合うことです。
たとえて表現すれば、勇気を持って崖から飛び降りることです。
崖から飛び降りるとそこにあるもの
崖から飛び降りたとき、そこに何があるか分かりますか?
そこは金銀財宝の山です。
でも、崖から飛び降りると死んじゃう、あるいは死に値するような苦しみがあると思い込んでいるから飛び降りません。
金銀財宝と表現しましたが、別の表現で言えば、愛です。ポジティブな感覚と捉えてもよいです。
自己価値を発見します。
もっと言えば、自己価値があるかないかなんてどうでもよくなるようなものです。
体感の仕方は人それぞれなので、仮に「愛」と呼びましょう。言葉は何でもよいです。
根本的な解決法
愛を持って、その状況を見たとき、解釈がまったく変わります。
ストレスはありません。
「私は人から受け入れられない」というビリーフもありません。
これが根本的な解決法です。
これをせずに、たとえば、トークスキルをもっと身に着けようとか、自分責めして反省したり、そんなことをしたってまったく意味がないです。
楽になるという観点からすると無駄に自分を苦しめているだけです。
カウンセラー/セラピストの仕事
カウンセラー/セラピストは何をするかというと、簡単に言えば、クライアントを崖から落とすのです。
正確に言えば、無理やり落とすことはできないので、崖を見つけて、「落ちて」と促すのです。
信頼関係(ラポール)は必須
だから、カウンセラー/セラピストとの信頼関係(ラポール)は非常に重要です。
これがなければセッションはうまく行きません。
崖から飛び降りるのは非常に恐いです。
安全な場や安心できる人がいないと飛び降りられないでしょう。
なので信頼関係を築くというのは非常に重要です。
EFTやマトリックス・リインプリンティングといったセラピーは、クライアントにとって負担が少なくスムーズに崖から落ちてもらう方法と言えます。こういったツールを使った方が安全で早いです。
ラポールが築けていない人とは築く努力はしますが、それでも築けない場合は別のセラピストを勧めることもあります。
信頼がなければ、クライアントさんは崖から飛び降りるどころか、崖まで導いてもくれません。
強制的に癒しを起こさせることはできない
「崖の下には宝があるのなら、崖から落としてよ」
それを希望する人も多くいます。
その気持ちもよく分かりますが、それは不可能です。
なぜなら、私たちには自由意志があり、この自由意志は非常に強力なものだからです。
自由意志を無視して何かしら強制的にさせることはできません。
癒しを強制的に起こすことはできません。
つまり、自分で崖から落ちなければいけません。
私にできることは、崖まで連れて行くことと、「崖から落ちても大丈夫だよ」と励ますことと、「何が起きてもフォローするので安心して」と言ってあげることだけです。
絶対的なセラピストや手法などない
そういう意味で、絶対的なヒーラー、セラピスト、カウンセラー、ヒーリング手法、セラピーなどというのはないことが分かります。
そこに固執してもあまり意義がないと思っています。
助けてくれる人や手法を求め歩いてもあまり実りはないでしょう。
とはいえ、セラピストができることは山ほどあります。
セラピストにとって必須であること
必須と言っていいのは、自分の癒しです。
自分を癒していない人を信頼できますか?
癒しているかどうかはたいてい見れば分かります。
いくらいいこと書いていたり、述べていても、本人から醸し出しているもので分かります。
別にエネルギーを読むとかリーディングとかそういうものではなく、普通に見て分かります。
また、崖から落ちても絶対に大丈夫であることを心から分かっていなければ、そこに導くことはできません。
セラピストが不安を抱えていれば、それは相手に伝わります。
癒しは一生涯続くものなので、自分の癒しが好きじゃなければセラピストは難しいかもしれませんね。
潜在意識の深いプログラム通りに行動している
最後に、自由意志の件でもう少し解説します。
自由意志があるということは、実は今の状況は自分でその状況を選択しているということです。
今が不幸に感じる状況であれば、その状況になるような行動を無意識で選んでいます。
魔法のように状況が作られるという意味ではありません。
潜在意識の深い思い通りに行動しているというだけです。
これについては、「潜在意識の望みどおりのことが現実に起こる??」をご覧ください。
自己否定や反省は時間とエネルギーの無駄
このときに自分を責めて、「私が不幸なのは自分のせいだったんだ」と思う人もおられますが、これはまったく時間とエネルギーの無駄です。
そんな思いに、ついて行かないことです。実りがないし、意味がないので、気づいて手放してください。
ほとんどあらゆる自己否定、自己反省も同様です。
そうではなく、潜在意識の深い思いを見つける努力をし、そこにある恐怖を見つけ、崖から飛び降りればいいのです。
ネガティブなビリーフやセルフイメージは単なる幻想に過ぎない
ネガティブなセルフイメージなんて単なる幻想、イメージです。
それをただ単にリアルに信じているだけのことです。
信じている原因の大半は過去の心の傷に由来しています。心の傷を癒すことで信じているものが緩みます。
癒しの先に見えてくるもの
崖から飛び降りたら、幻想に気づきます。
そこに気づいたら、今まで気づきもしなかったものを持っていることにも気づきます。
一言で言えば、愛とかハートというものですが、時と場合によって性質や感覚の質は変わるので、こういった抽象的な言葉でひとくくりにしているだけです。
人によっては、明るさかもしれないですし、静寂さかもしれないですし、笑いかもしれないですし、温かさかもしれません。
それが唯一のものでもありません。
どんどん違うものを発見するでしょう。
本当は欠けてなどいなかった
元々それは自分が持っていたのです。
欠けていると思い込んでいただけということに気づきます。
新たに身に着けたものなど何もありません。
どこかからやってきたわけでもなく、元々持っていたものを発見したのです。
そもそも自分に持っていないものが急に現れたりはしません。
これが腑に落ちると、自分はポジティブもネガティブもすべての要素を持っていることが分かります。
世界の変化
そして、その状態で世界を見たとき、状況は何も変わらなくても、世界は大きく変わっていることに気づくでしょう。
解釈が変わっています。
同じ世界なのに感じ方が違います。
不思議と周りの人の行動や態度まで変わったように感じます。
本当に変わったのかもしれません。
相手や状況を変えようとするのではなく、内側を見ていくこと、つまり、解釈やビリーフ、恐れ、心の傷、抑圧された感情に向き合うことをぜひやっていただきたいと思います。
セルフワーク講座はとても力になってくれると思います!
1月からまた開講します。10月には募集開始する予定です。