「どうせ私なんて何やってもうまくいかない」
「幸せそうなあの子が憎い。不幸になればいいのに」
「ざまあみろ。いい気味だ」
ひどい思いが出ると自分を律する人ほど抑圧する
こういった思いがあるとしたら、自分を律する人ほどこんな思いを持つ自分を嫌悪するでしょう。
自分を律する人は、愛が深い人、思いやりがある人、優しい人、いい人、責任感が強い人、完璧主義な人、自分責めが激しい人、罪悪感を感じやすい人です。
冒頭のような思いがよぎると、途端に抑圧します。
抑圧しても根本的に解消するわけではなく、たまる一方です。
どこかで抑圧しきれなくなり、「私の性格は最悪だ」「私の本性は人でなしだ」「私はダメ人間だ」と責め、自尊心はがた落ちします。
モンスターの思い
冒頭のような思いは、自分の中の「モンスター」の思いです。
「あなた=モンスター」ではない
結論だけ言っておくと、モンスターはあなたそのものではありません。
モンスターが発する思いは、本来のあなたの思いではないので、自分を責める必要はありません。
モンスターを育てた責任は取る必要がある
しかし、あなたが自分の中にモンスターを育てた責任は取る必要があります。
モンスター退治をしなければなりません。
モンスターが育つ理由を理解することが第一
モンスター退治をする上で、まずはなぜあなたの中にモンスターが育ってしまったかを理解する必要があります。
それを理解しなければ、モンスターを退治するどころか、モンスターにさらに餌を与えてしまうことになりかねません。
モンスター胎児をしてきたつもりが、餌やりだった
あなたがやってきたことは、モンスター退治ではなく、モンスターに餌を与え続けていた行為でした。だから、ここまでモンスターが育ってきたのです。
しかし、あなたは「モンスター退治」をしていたつもりでした。
ここに大きな誤解があります。
あなたは「モンスター退治」をしようとして、「モンスターの餌やり」をしていたのです。
ここの誤解を解かなければ、本当のモンスター退治はできません。
モンスターが生まれる事例
まずは、モンスターがなぜ生まれるかを理解する必要があります。
モンスターはどうやって育っていくのでしょうか?
復讐心は分かりやすいモンスターなので、これを例に挙げましょう。
いじめられた例
例なので何でもよいです。
いじめに遭うとか、大切な人を殺されるとか、そういったものが分かりやすいかもしれません。
いじめの場合、机に落書きをされたとしましょう。
このとき、どんな気持ちになるでしょうか?
怒り、悔しさ、悲しみ、みじめさ・・・
そういった感情が出てくるでしょう。
机に落書きをした人が力があるいじめっ子だったとします。
怒っていると、「なんだぁ、文句あるのか?」とすごまれ、胸ぐらをつかまれました。殴られそうになりました。
このとき、どんな感情が出てくるでしょうか?
恐怖です。
ところが、クラスメイトの前で恐がるのはカッコ悪くて、恐いのをグッと我慢し、ニヤッと笑ってごまかしました。
すると、いじめっ子に殴られました。ニヤッと笑ったことにムカついたのでしょう。
そして、いじめがエスカレートしました・・・
こういう事例を挙げてみました。
いじめがあったから即モンスターになるわけではない
こういう経験があると、モンスターが作られることになります。
いじめがモンスターを生み出したということになりますが、正確に言えば、いじめられた後の対処が間違っていたからモンスターが生み出されたのです。
「いじめの体験=モンスターが生み出される」というわけではない
ここはすごく大切なことです。
つまり、「心の傷を負う体験→モンスターが生み出される」とは必ずしも言えません。
もっと正確に捉えると「心の傷を負う体験に対する対処が間違っていた→モンスターが生み出された」のです。
心の傷を負う体験後に適切な処理をしていなかったため、未処理のエネルギーがたまり、それがモンスターになった
モンスターの正体
まず、モンスターの正体を突き止めていきましょう。
モンスターの正体は、「怒りや悔しさや悲しみ」といった感情エネルギーです。
もっと正確に言えば、未消化な感情エネルギーが大きく蓄積され、それが「モンスター」となり、理性よりも感情に支配されてしまう状態です。
怒りや悲しみを散々出しているのにどうしてなくならないの?
でも、ここで疑問に思うかもしれません。
モンスターとして、怒りや悔しさや悲しみをさんざん出しているのに、どうしてなくならないの?
こういう疑問が出てくる人は素晴らしいですね。よく考えています。
では、ここで、感情を整理してみましょう。
机に落書きされたときの怒り、悔しさ、悲しみ、みじめさといった感情が一番始めの感情です。
複数あると分かりにくいので、仮に怒りだけとします。
- 机に落書きされて→落書きした相手に怒り
- 怒りを出そうとしたが、相手が相手がいじめっ子で胸ぐらをつかまれ恐れ
- 恐れを出すのはかっこ悪かったので恐れを抑圧した
- 結果、相手に対していつまでも恨んでいる
心の傷を負ったときに当たり前に生じる感情を抑圧していて、まだ未消化なのです。
これがあるので、いつまでも恨みが残っています。モンスターになっています。
もし、このとき感情を出せていたら、同じ出来事を受けても残っていないのです。モンスターにはなりません。恨みもありません。ただの終わった出来事です。
つまり、さんざん感情を出しているのになぜ感情がなくならないのかというと、未消化な心の傷にはまったく手を付けておらず、モンスターから派生する感情ばかり感じているので、いつまで経っても感情がなくならないのです。
もし、恐れを出していればどうなっていたか?
きちんと恐れを出すことができたらどうなっていたでしょうか?
いじめっ子に胸ぐらを捕まれたとき、本気でビビっていたらどうだったでしょう?
この恐れはいじめっ子に伝わります。周りにも伝わります。
恐れている人を殴ると、いじめっ子のほうが立場が悪くなります。
そうなると周りは味方になるでしょう。いじめっ子も「まずい」と思って殴りません。そしてここまでおびえさせてしまったことに「罪悪感」を持ちます。すると「もう止めておこう」と思うでしょう。
ですが、恐れを出さずに「ニヤッと」ごまかしました。恐れを抑圧したせいで、「ビビっていないならもっと懲らしめてやれ」といじめっ子は殴りました。周りも味方になりません。「恐がっていないなら助けなくてもいいか」と思います。
でも、本気で恐がっていたとしたら、周りも助けようとするでしょう。
味方ができます。
つまり、ちゃんと恐れを出せていれば、いじめはそこで終わっていた可能性が高いのです。
もし、怒りを出していればどうなっていたか?
そして、ちゃんと怒りを出していれば、殴られたとしても「やれることはやった」と思い、後悔しません。
適切に言いたいことが言えていれば、スッキリできていました。
ひどい体験がトラウマにならないケース
幼少期にひどい体験を受けたとき、トラウマになるケースとならないケースがあります。
この違いを決めるのは、感情を出せているか出せずに残っているかです。
感情を出せていると、ひどい経験をしてもトラウマにはなっていません。思い出しても苦ではなくなっています。
ちゃんと感情を出せていれば、モンスターは育ちません。
とはいえ、ほとんどの人が多かれ少なかれモンスターを抱えています。
今、モンスターを退治しよう!
その場合、モンスター退治をする必要があるでしょう。
かつて出せなかった感情を、今、出してあげることでモンスターを退治することができます。
カウンセリングではイメージワークでやっています。
イメージで感情を出し切れば大丈夫です。
感情を出す抵抗を取り除くのが一番のハードル
モンスター退治の難しさは、感情解放ではありません。
感情解放そのものは全然難しくありません。
難しいのは、感情を出すための抵抗を取り除くことです。
このいじめのケースでは、「ビビっているのはかっこ悪い」という抵抗を取り除く必要があります。
これがある限り、恐れを抑圧し続けます。
「恐さを人前でさらけ出すこと」
これを許したとき、抵抗がなくなります。
そのうえで、「怒りを出す勇気」が必要です。
これがないと、怒りを抑圧し続けます。
これらの「感情を出すことへの抵抗」を取り除くのが最も難しい課題でしょう。
これができれば、感情を出すのは屁みたいなものです。
恐れを抑圧しすぎると、異常な恐れに悩まされる
ちなみに、恐れを抑圧し続けると、どんどん恐れが強くなり、表面的に現れる自分の姿はモンスターではなく、弱者です。
恐れの抑圧が強くて、限界を超えてたまってくると他者を異常に恐がったり、恐怖症やパニック障害や強迫観念などに悩まされます。
恐れを抑圧した結果、恐れにひどく悩まされるという矛盾に気づいてください。
そして、内なるモンスターは内面に潜んでいます。
「分かってほしい」「認めてほしい」と自分のニーズばかりで、相手のことを思いやる余裕を失っています。
元々は自分を律する「愛が深い人」です。
感情を抑圧することで、愛を失います。
このからくりを腑に落として、感情を出せるようにしていただきたいと思います。