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安心感を自分の中に持つ

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安心感の基準について

前回の記事で、不条理な社会について言及しました。

不条理な社会に批判・対立するのではなく、許しが必要だということも書きました。

違いを受け止め、共存することが重要です。

存在を許した上で、自分が心地よく生きられる居場所を作っていきます。

とはいえ、不条理な社会の中で、自分だけがそんな場所を作ることはできないと思うかもしれません。

人は社会的生き物なので社会と関わらずに生きることはできません。
社会から乖離してしまうと、それはそれで問題です。
引きこもっていれば楽ですが、魂が求める生き方ではありません。本当の意味で幸せな人生にはなりません。

今の社会の中で、しっかりとした自分軸を持って生きるには、自分が社会的圧力からなるべく影響を受けない状態になっておく必要があります。

自分の中に安心感がないから外に求める必要がある

自分の安心感の基準を自分の中に持っておかなければなりません。

多くの人は自分の中に確固たる安心感を持っていません。

これを身につける必要があります。

自分の中に確固たる安心感を身につけるには時間がかかりますが、体系的なやり方をセミナーで伝えています。カウンセリングでも長期的にこれを身につけることを目指しています。

自分の中に安心感がないから、それを外に求めます。

評価に安心感を求める

ある人はそれを「評価」に求めます。

他人から「すごい」と褒められたらうれしいです。
自分の作品がより多くの人から認められると自信が持てます。
自分の仕事が権力者や地位が高い人から認められると自信が持てます。
多くの人から容姿を褒められると自信が持てます。

他者承認によって自信(安心)を得られるとしたら、それは他人軸のあり方です。
他者に依存するからです。
評価を決めるのは、他者です。世間です。社会です。

それでは社会的圧力の影響から逃れられません。

価値に安心感を求める

今の世の中は、価値がある人を評価します。

価値があると評価され、お金も得られ、安心できます。

ちなみに価値を決めているのは何でしょうか?

何を持って価値があるないが決まっているのでしょうか?

よく考えてみると絶対的な価値の基準などありません。
価値は時代に応じて変わってきます。

価値を決めているのが価値観です。
価値観は人それぞれですし、時代に応じた価値観があります。

価値によって自己価値を決めているとすれば、いつまでも価値に振り回されることになります。

これでは社会の価値観から離れることはできません。

お金に安心感を求める

「お金さえあれば私の問題はほとんど解決できる」
「お金さえあれば我慢しなくて済む」
「お金さえあれば会社を辞められる」

そういう声を聞くことがよくあります。
確かにお金があれば安心できるでしょう。我慢しなくて済むこともたくさん増えるでしょう。

魂の視点から見れば、自分の中に安心感を持つことにチャレンジしているため、外に安心感が持てない状態にしているとも言えるかもしれません。
そう考えると、単にお金を得られればよいというわけではありません。

お金は基本的に価値の対価です。

不労所得のように価値を提供しなくてもお金を得られることがありますが、多くの場合、労働でお金を得ます。
価値の提供によって対価を得ます。

その場合、価値や他者評価から切り離せません。
労働でお金を求める限り、社会の価値から抜け出せません。

では、不労所得はどうかというと、今の社会は労働所得をよしとする価値観です。労働しないと生きていけない社会になっています。
そのため、不労所得を目指してもたいていの人が失敗します。ごく少数が不労所得を得られるのが今の社会の現状です。そこを理解すれば、「自分だけは不労所得を得られるはずだ」というのはかなり楽観的考えであるのが分かるでしょう。

正しさに安心感を求める

正しさがあれば安心できます。そのため、正しい意見、正しい考え、正しい生き方の指針を探そうとします。

しかし、絶対的な正しさはありません。
正しさとは状況や立場によって変わってくるものだからです。

仮に絶対的な正しさがあったとしましょう。
それを元に絶対正義を執行したとします。そうなればものすごく恐ろしいことになるでしょう。

絶対的な正しさの元に、ルールを強制するわけです。
間違うことや失敗が許されないというのは、本当に恐ろしい社会です。
逆に安心できません。

心地よい社会とは許容度が高い社会です。個の多様性が許容され、過ちや失敗にも寛容で、チャレンジがしやすい社会です。

絶対正義を執行する社会はこの逆です。

真実・真理に安心感を求める

正しさと似ていますが、真実や真理に安心感を求める人もいます。

宗教や精神世界はこれが顕著です。

真実や真理は、ときに残酷です。必ずしも真実や真理が自分に優しいわけではありません。

真理は力を持ちます。真理であるがゆえに逆らえません。
真理をかざすことで、力を持ちます。
これが不対等を生み出し、まるで真実を知っている人のほうが偉いかのような錯覚を持ちます。

真理が悪いわけではなく、真理はただの真理ですが、時として真理が自分に悪影響を持つことも知っておく必要があるでしょう。

宗教を見るとよく分かります。
宗教は真理を主張しているものです。
真理は宗教によって対立することがあります。
その場合、真理同士が争うことになります。
対立する真理はどちらかが間違っていなければなりません。

真理は力を持っているので、対立も強烈なものになります。

真理にしがみつくほど、心の対立が増えることを覚えておいてください。

神(絶対的存在)に安心感を求める

正しさ、真理と似ていますが、絶対的な存在や崇拝する存在を持つことで、安心感を得る場合があります。

いわゆる「神」を想定し、絶対的な存在として崇め、自らを神の下に置きます。このとき盲目的隷属が起こります。

神の僕(しもべ)であり、自立した存在ではありません。

神を否定しているわけではありません。
宗教を否定しているわけではありません。

神や真理を持ち出すと、どうしても隷属的になりやすいということを理解する必要があります。

神の考えが絶対になると、神の考えに合わせるという生き方になります。それは自分軸の生き方ではなく、神軸の生き方です。

自分の中に安心感を持つ

これらのように外のものに安心感を委ねている限り、外側に振り回されることになります。

自分軸になるには、自分の中に安心感を持つ必要があります。

「自分=正しい」とするとどうなる?

ここで問題なのが、「自分=神、真理、正しい」となってしまうことです。
そうなれば、自分軸が確立されますが、不健全な自分軸です。
宗教の教祖とか、ワンマン社長とか、そんなあり方です。
他者の力を奪うあり方です。

自分の考えが絶対で、それを他人に押しつける形になります。

ワンマン社長の下で働いているというのが理解しやすいかもしれませんね。
そうなるとすごく居心地が悪いです。それがいいものとはとうてい思えません。

「自分が自分を評価する」はどうか?

では「自己評価、自分で価値を認める」というのはどうでしょうか?

これは健全です。
自分できちんと自分のことを評価でき、自分で価値を認めることができればいいですね。

とはいえ、これも行き過ぎると問題です。
過大評価は不健全です。

算数のテストで50点しか取れないのに、算数の天才だと自称していたらおかしいですよね。

「自分がお金を稼ぐ」はどうか?

お金の場合、自分でお金を稼げるというのはどうでしょうか?

これも健全ですね。
自分でお金を稼ぐことができれば、安心感を作り出せます。
自分の生活費を自分で稼げると安心です。

「お金は他者から与えられるものだ」というスタンスでは他人軸にならざるを得ません。
「お金は生み出せるものだ」というスタンスだと自分軸です。

組織で働いていたとしても、後者のスタンスであれば会社と対等でいられるでしょう。

真の自立は外に縛られないこと

ただ、本当の意味で自立するには、評価や価値やお金や正しさや真理や神に縛られないことです。

「自分が評価しているかどうか関係ない、ましてや他人が評価するかどうかは関係ない」
「価値があるかどうかは関係ない、価値を認めるかどうかも関係ない」
「お金になるかどうかは関係ない」
「正しいか間違っているかは関係ない」
「真理であろうかどうかは関係ない」
「神がどう言おうが関係ない」

その上で、自分がどうしたいかというハートで生きることです。

自分の本音、本心、心からの意見、心からしたいことを最優先させるには、上記のようなものに縛られていないことが求められます。

ハートで生きるというのは、単に好きなことをするということではありません。

本当の意味でハートで生きるには、評価や価値やお金や正しさや真理や神から自由であることが必要です。

自分の中に安心感を持つには?

では、自分の中に安心感を持つにはどうしたらよいでしょうか?

安心感は得るものではありません。
元々、絶対的な安心感があります。ここが大前提です。

これが前提であるときの問いは「どうして私は絶対的な安心感を見失っているのか?」ということです。
この発想で考えてみると見えてくるものが多いと思います。

根拠のない安心感は純粋な自分(自分の本質)になるほど感じられるものです。

本音、本心で生きている人ほど、根拠のない安心感を持っています。

他人軸では自分の本音や本心が分からなくなっていき、ますます安心を見失います。

ここで、根拠のない安心感を見つけてから、本音・本心で生きようとすると大変です。

それはオススメしません。
見つかるまでは動けないということになっちゃいます。

「恐いけれどチャレンジしてみる」→結果、大丈夫だった。安心感が増える。

「本音かどうか分からないけど、伝えてみる」→結果、うまくいかなくてモヤモヤ→本音がどうだったかあらためて考えてみる→本音が見つかる→スッキリ

そういうことも大事です。

また、恐れに向き合って、恐れを感じきるワークも大事です。

自分の中に安心感を見つけることは一つだけの道筋ではありません。
無限の道筋があるでしょう。

こういったことを日々考えて実践して、効率的な道筋をお伝えしています。

これを見つけることは楽しいことです。
「自分の自然体の姿を知りたい」「本当の思い、深い本音を知りたい」という好奇心自体が喜びです。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

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