これからの時代、必要とされるのはこんな人!
Youtubeを見ていて、これはいいなぁと思ったので紹介します。
タイトルは「これからの時代、必要とされるのはこんな人!」です。KIKOさんという方の動画です。
この方の動画は初めて見たので、詳しいわけではありませんが、説明が素晴らしかったです。
動画の内容を簡単に説明すると、KIKOさんが守護霊さんに、これからの時代に必要とされる人を聞いたところ、「どんな人も必要とされない」ということでした。
これはどういうことかというと、「誰かのために何かをするとか、誰かに必要とされるための存在になるという人は必要とされない」「誰かのために、社会に必要とされるためにという生き方は終わり」ということでした。
結論として、「ありのままの自分でいい」ということでした。
本当に同意で、ぜひ動画を見ていただきたいと思いました。
貢献価値と存在価値
ボクも同じことを言いたいのですが、ボクの表現だとKIKOさんみたいにシンプルに、響くようにお伝えできないので、動画を紹介したほうが早いなと思いました。
こういった人たちが出てきて心強いですね。
まあ、でもここはボクのブログなので、ボクの表現で同じことを説明しますね。
ボクは「貢献価値」と「存在価値」という表現を使っています。
この時点で難しくなりましたね(-_-;)
自己価値の基準なんですが、誰かや社会のために何か貢献できることで自分の価値を見出すのが「貢献価値」です。
これまでの社会では、8~9割は貢献価値で成り立っているように思います。
ビジネスであればほぼ貢献価値です。
友人や夫婦関係も同様で、お互いが貢献しあうことでよい関係を築いていくという関係性が主流です。
一方、貢献に関わらず、何もしなくても存在だけで価値があるというのが「存在価値」です。
たとえば、赤ちゃんは貢献価値がゼロに等しいですが、存在価値はすごいですよね。
いるだけで微笑ましくなります。
ビジネスでも、何も仕事をしていない部長がそこに座っているだけで、従業員が気を引き締めて仕事をしているとしたら、それだけで価値があるわけです。
飲み会で、何もしゃべらなかったとしても、そこにいるだけで場の空気をなごませているとしたら、それも価値があるわけです。
私たちは貢献価値に強く縛られている
貢献価値の世界で生きている私たちは、貢献価値にめちゃくちゃ強く縛られているんです。
「何か貢献できるものを持っていない私は価値がない」とリアルに信じています。
これって嘘なんです。
ホント大嘘ですよ。
カウンセリングをやっていて、クライアントさんがこの幻想から解き放たれ、内なる力に気づいて、今まで味わったことがない充実感を感じられるとき、私もとてもうれしいですね。
貢献価値の価値観から存在価値の価値観へ
未来の社会が変わっていくというのは、価値観が変わるということです。
変化した価値観に基づいた行動、生き方をしていく社会になっていくということです。
何も役立てない自分はダメで、何か役立てることを身につけなければいけない
という価値観、行動原理で生きている状態から、
無理して社会のために役立とうとがんばる必要はなく、それぞれが自然体(ありのまま)で生きるだけで社会はうまく回るので、ありのままで生きよう
という価値観、行動原理で生きる状態に変わるということです。
がんばらない=何もしないという発想
ここで、貢献価値に縛られた人たちは、こう思うかもしれません。
この発想って、嫌なことをがんばってやっているから出てくる発想なんです。
嫌なことをやっていると、「がんばらない=何もしない」になっちゃいます。
でも、好きなことをやっていたら、「がんばらない=何もしない」ではなくて、「がんばらない=マイペースで好きなことをする」という発想になります。
皆が自然体でうまく回る社会
皆が、自分のペースで、自分のそのままの性格で、好きなように生きても、社会は回るどころか、むしろそのほうがうまく行きます。
そして、それこそが、未来の社会であろうと思います。
生きるためには嫌なことをがんばる必要がある?
今は、多くの人たちが自分の性格や資質を否定して、理想のあり方になろうとがんばっています。
好きじゃないことをがんばろうとしています。
確かに、今の世の中は貢献価値に縛られていて、貢献価値ともらえるお金がかなりリンクしています。
なかなか存在価値のほうへシフトしにくいのは確かですが、でも全然不可能ではありません。
自分の人生で大事なものの優先順位を明確にして、優先度が高いものを満たしていけば、充実感を感じられるはずです。
お金にとらわれているのであれば、生活水準を落として、なるべくミニマリストに生きて、その分、働き方の自由を得るという方法だってあります。
好きなことをしなくても人生は充実できる
別に好きなことをしなければ楽しくないというわけではありません。
今、緊急事態宣言でカウンセリングが暇になっているので、別の仕事を短期でやっているのですが、その仕事ってたまたま縁があってやっているだけです。
短期なので、貢献しようがしまいが関係ありません。
契約で守られているので、その期間は基本的に首にはなりません。
何もしなかったら暇ですし、「がんばらない=何もしない」にはなりません。
マイペースで、自然体で、仕事をするだけです。
「この会社のために!」「この組織のために!」「この人のために!」ってがんばっているわけではなく、与えられた仕事を自分なりにやるだけです。
自分なりにやっていたら、評価されることもあり、それはそれでうれしいですが、評価のためにやっているわけではありません。
マイペースで自然体でやっていたら、充実感あって気分はいいんですよね。
カウンセリングは好きでやっていますが、カウンセリングではない仕事でも、全然幸せでいられるなって思いました。
他者の基準から自然な自己の基準へ
そうおっしゃる人もいるかもしれませんね。
仕事ができなくて何が悪いんでしょう。
仕事ができなければならないというのは、社会の都合を押しつけられているだけです。
そこに縛られているだけで、仕事ができなければならないというのは幻想です。
仕事ができる人ばかりの社会って生きづらいでしょ。
周りの全員が優秀だと、劣等感感じて当然です。
多様性があり、いろいろな個性や能力があるから、「ああ、自分もいていいんだ」って思えると思うんですよね。
仕事ができない人がいるというのは、それだけで大きな存在価値なんですよ。
だから、仕事ができないことをまったく卑屈に思う必要はなくて、堂々と自分らしく、マイペースでやればよいのです。
仕事ができる人が、あえて仕事ができないようにがんばるのは、不自然で大変なことでしょ。
同じように仕事ができない人が、仕事ができるようにがんばるのも、不自然で大変なことです。
こういった無理をなくすことです。
だいたい、会社員なら仕事ができようができなかろうが、給料なんてそんなに変わらないでしょ。
仕事ができる人をうらやむかもしれませんが、仕事ができる人はそれだけたくさんの仕事を任されたり、責任ある仕事をしなければならなくなったりで、大変でもあるのです。
これからは、自己評価の基準を他者や社会の価値観に置く時代から、自分の自然な価値観に置く時代に変わってくるでしょう。
ハートで生きる
この流れは徐々に変わってくるのかなと思っていましたが、今回のコロナの件を考えると、一気に変わってくるのかなと思いました。
であれば、早く古い価値観を手放す必要があるでしょう。
そこにしがみつく人ほど苦しくなります。
自分の価値観って、他者や社会の価値観にすごく影響されているのですが、それを取り除いたとき、自分の自然な価値観があるのです。
これに従って生きるってことですよね。それをボクは「ハートで生きる」って呼んでいます。
これからはハートで生きる人の時代になってくると確信しています。