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主体的に生きる~キルケゴールの思想~絶望・葛藤が鍵

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実存主義

前回のブログでは、「自分が人生の主体者だ」という認識の大切さを書きました。

主体者意識を持つことの重要性「人生を変える力がない」という思い込み 無力感や絶望感、人生の理不尽さを感じやすい人 他者や組織、政府批判の思いがすぐに...

この認識を持てるようになるとき、被害者意識から抜け出すことができます。

「ハートで生きる」には人生の主体者という意識が必要不可欠です。

主体者意識については、哲学の「実存主義」が参考になるでしょう。

実存主義とは

実存主義とは、19世紀のヨーロッパで生まれた思想です。

19世紀は、資本主義と科学至上主義が台頭した社会で、社会が組織化、巨大化されました。
その過程で管理社会となり、人々の個性や主体性が損なわれていきました。
人々が自らの主体性を回復し、真の自己を見出すためにどうすればよいかを考えたのが、実存主義の思想家たちです。

キルケゴールやニーチェがその先駆者で、20世紀には、ヤスパース、ハイデガー、サルトルらが現れました。

彼らは真実の自己のあり方や生き方を探求しました。

管理社会が続く現代

21世紀の現在も、まだまだ管理社会で、主体性は失われていると感じます。
私が受けた学校教育も、管理社会を前提とした教育で、管理社会に必要な価値観や技術が求められました。

より個性を重視して、もっと多角的な価値観が尊重される教育が望ましいのかもしれませんが、それをやると、教える側が大変です。
一人ひとりの個性を見極めて、それに合ったプログラムを提供するのは、非効率で、時間とコストがかなりかかってしまいます。

とはいえ、今後はオンライン授業などで、個別教育が低コストで可能となるでしょう。
教育はどんどん変わってくると思われます。

主体性を取り戻す上で、実存主義の哲学者の先駆けであるキルケゴールを採り上げます。

罪悪感・自己否定・絶望感のキルケゴール

キルケゴールは、実存主義の創始者と呼ばれていますが、人生を見てみると、罪悪感と絶望感の塊のような人です。

相当苦しい人生だったと思いますが、絶望によってここまでの思索ができたのだと思います。

キルケゴールの父は、貧困から神を呪い、レイプで女性を妊娠させ、その悔いから息子のキルケゴールを聖職者にしようとしました。
キルケゴールは7人兄弟でしたが、5人は若くして命を落とし、長男とキルケゴールだけが生き残ったのですが、長男と長男の子どもは精神病に悩まされました。

罪を負った父親から生まれた自分に嫌悪感と罪悪感を抱き、絶望しました。

また、並外れて高い知性を持っていたものの、身体はひどく病弱で、背骨に奇形を抱えており、自分の容姿にコンプレックスを持っていました。

キルケゴールは24歳の時、14歳の少女、レギーネと出会い、恋をし、3年後に求婚しましたが、翌年に一方的に婚約を解消しました。
彼女を愛すれば愛するほど、自分は彼女にふさわしくないという自責の念が増し、彼女と別れることを選んだようです。

よっし~
よっし~
まさに自分を不幸にする考え方ですね!
父親と自分の境界線が引けておらず、精神的には相当不健全なのですが、そのせいというか、そのおかげで哲学者として名を残すことになるのは皮肉なものです。

キルケゴールの思想「主体的真理」

キルケゴールが大事にしたのは、主体性です。

「客観的真理」は、皆にとって正しいものです。
一方、キルケゴールが主張した「主体的真理」は、私にとって正しいというものです。

大事なのは、自分にとって真理であるような真理を見つけることで、客観的真理を見つけたところで、自分にとって何の意味があるのかと主張しました。

皆にとって正しいことが、自分にとって正しいとは限りません。
社会の価値観と、自分の価値観が合うとは限りません。
自分にとって大切な価値観や真理を追求し、自分の決断によって、自分の人生を選んでいく生き方が大切だという考え方です。

人には主体的真理がありますが、そうした真理が分からなくなったり、そうした真理を追求できなくなる妨げが、客観的真理です。

もし、主体的真理の方向に生きれば、実存的な生き方(自分を失った状態を脱し、今ここに生きている人間としての生き方)になるはずだとキルケゴールは考えました。

実存的な生き方

キルケゴールによれば、実存的な生き方は3段階あります。

美的実存、倫理的実存、宗教的実存の3段階です。

美的実存

美的実存の生き方とは、快楽を求めて生きる生き方です。
はじめは楽しいですが、快楽の奴隷として生きるのがだんだんとむなしくなり、絶望します。

快楽のためだけに生きていることに耐えられない段階が来るのです。

ちなみにキルケゴールはこの絶望を「死に至る病」と呼んでいます。

倫理的実存

絶望から葛藤を経て、決断し、美的実存を断ち切り、倫理的実存にたどり着きます。
倫理的実存の生き方とは、義務や規範に従う生き方です。

ここでも限界や矛盾を感じて、自己否定や無力感を感じるようになります。
そして絶望し、葛藤、決断を経て次の段階にたどり着きます。

宗教的実存

それが宗教的実存です。
神の前にただ独り立ち、神に委ねるというものです。
ここでようやく、人は自分を確立し、自分本来の生き方に到達できます。

キルケゴールは、「皆が正しいと信じること」を信じるのではなく、「自分が正しいと信じること」を信じることを説きました。

私的感想

キルケゴールが説く「自分が正しいと信じること」を信じるというのはとても共感できます。

これはあくまで3段階の生き方を経て、ようやく本当の意味で自分本来の価値観が分かるのではないかと思います。

もし、美的実存の段階で、自己快楽だけを追い求めているときの正しさというのは、「快楽追求」や「自己中心」になってしまいます。
それは、自分本来の本質的価値観ではありません。

倫理的実存の正しさは、社会集団の正しさや価値観の善になりがちです。それもやはり、自分本来の本質的価値観ではありません。

それらを経て、自分本来のあり方や大切な価値観を見つけて、自分なりの人生を歩んでいくのではないでしょうか。

私自身も、20代までは自己快楽を追い求めていたように思います。
但し、私の場合、ブレーキもかなりあったので、実際にはそこまで欲求に忠実に生きることはなかったですが、欲求をかなえたいというのが多分にありました。

絶望は経ていませんが、いろんな葛藤はありました。

社会人になると、「常識」や「こうあるべき」で生きていくのが当たり前になりました。

とはいえ、自分なりの生き方をしたいというのは20歳前後から強くありました。
「ハートで生きる」ということに惹かれたのもこの時期です。

いろんな葛藤や絶望を経て、自分自身もハートで生きることを実践しつつありますし、そのサポートをしたいと思って仕事をしています。

絶望・葛藤が大事!

キルケゴールの思想をまとめてみて、主体的に生きることの大切さはもちろんですが、絶望・葛藤の大切さもあらためて感じました。

これがあるから次の段階に行けるんですよね。

ここで絶望や葛藤を安易に解消しようとせず、向き合うことが大切だと思います。

というのは、やはり絶望や葛藤というのは苦しいので、なるべく早くこの段階を抜け出したいからです。

抑圧してしまうと、問題の先送りにしかならず、根本的に変えるチャンスを逃してしまいます。

とはいえ、抑圧は浮上するので、そのときにまた苦しむわけですが・・・

抑圧が浮上したときに、しっかり向き合って、絶望と葛藤を経て、自分なりの結論を出していくことが大切だと思います。

キルケゴールの3段階のステップは向き合っていく上で参考になるのではないでしょうか。

他者の正しさや価値観も許容できる

宗教的実存の段階で「自分が正しいと信じること」を信じられるとき、「他者が正しいと信じること」も許容できると思うんです。

この段階では、自分の正しさや価値観を絶対視しておらず、自分の価値観と世間の価値観との違いを理解しています。

両方とも受け止め、それでも自分の正しさや価値観を、自分の責任で選択するということを決断します。

この決断ができる人は、他者の決断も尊重できるでしょう。

つまり、他者の意見や考え方や価値観を受け止められる許容度が高い状態になっています。

倫理的実存の段階は、排他的で、自分が信じる善から外れるものに対して、攻撃的になりがちです。

キルケゴールが説く宗教的実存の段階、私の言葉で言えば「ハートの段階」では、他者の価値観を尊重しながら、自分の価値観を貫ける状態なので、調和的かつ、ブレない強さも持っています

ハートの段階で他者比較が止む

正しいか正しくないか、価値があるかないか、役立つかどうかではなく、自分のハートが満足する価値観を選ぶことができ、この状態のときにようやく、他者との比較が止みます
比較して一喜一憂しなくなります。

いくら世間一般ですごいことであったとしても自分のハートを満たさないことは満足できないことが腑に落ちているからです。

その状態のとき、他者がやっていることは尊重でき、すごいことを成し遂げた人には素直にすごいと認められ、そこに、自分(の現状)を持ち込みません。

悩みや葛藤を大切にしよう!

真に主体的に生きられる状態になるには、キルケゴールは絶望の段階を経ることを説きましたが、それはキルケゴールが絶望の人だからだと思います。

普通の人は、そこまで絶望できないでしょうね。
絶望するほどの不幸や、高すぎる感性もまた困りもので、万人向けではないと思います。

前回のブログで書きましたが、強烈な罪悪感や自己否定や絶望感を抱えている人は、「私は人生を変える力がない」という無力感を根底で抱えています。

キルケゴールは、この無力感と戦った人生だったのではないでしょうか。
その結果、主体的に生きるという思想に行きついたのではないかと思います。

人生で見れば、極めてきつい人生でしょうから、なかなかできることではありません。

万人向けには、絶望まで行かない「悩み」「葛藤」レベルで、もがいてみることをオススメしたいです。

悩みがあるのは素晴らしいことです。
悩んで、葛藤して、自分なりの答えを見つけていき、それを繰り返していくことを許容しましょう。

悩みがない人生を目指すのは無理です。不自然です。

とはいえ、悩みや葛藤から自分なりの答えを見つけるのは簡単ではありません。

そのプロセスの手助けができるのが心理カウンセラーの一つの役割だと思っています。

悩みや葛藤をただ解決して、楽にさせさえすればよいというのではないと思っています。

葛藤から自分で答えを見つけられるためのサポートを私は心掛けています。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

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