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自己肯定感と自己信頼感についての誤解を解く

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自己肯定感について

メンタルが健全かどうかの一つの指標が、自己肯定感が高いかどうかだと思っています。

自己肯定感が高いというのは、「自分に自信がある」ということだと一般的には捉えられているでしょう。

私は、その捉え方ではなく、自己否定感が少ない状態であると理解しています。

自己肯定感は自信の有無とは関係ない

つまり、

×自己肯定感=自分に自信がある状態

ではなく、

〇自己肯定感=自己否定が少ない

です。

ここの違いって実は大事です。

自信の基準は成果や評価や価値になる

自己肯定感が自分への自信の場合、その自信の基準は、正しさや他者と比べて優れているとかの評価や価値になります。

これが基準になっている以上、自己肯定感は揺らぎます。

自信があるときは自己肯定感が高く、自信がないときは自己肯定感が低くなることになります。
これは当たり前と思うかもしれません。

真の自己肯定感は自信や正しさや価値に依存しない

しかし、私は真の自己肯定感は、自信や正しさや優劣や価値に依存しないものだと理解しています。

たとえば、私は運動神経が鈍く、球技に自信がありません。

自信を自己肯定感の基準にすると、球技の分野では私は自己肯定感が低いということになります。

でも、それは本当でしょうか?

自己否定感があれば自信がないものは苦しい

確かに昔はそうでした。
体育の時間は、自己肯定感がすごく低くなっていました。

それは、球技が苦手なことを恥じていたからです。情けないと思っていたからです。
そこに否定感があったためです。

自己否定感がなければ自信がなくても楽しめる

でも、今は否定感がありません。
下手を公言できますし、下手で笑われても平気です。
自信はまったくありませんが、苦しくありません。
これは自己肯定感が低い状態ではありません。

自信をつける努力よりも自己否定感をなくす努力をしたほうがよほど幸せになれる

つまり、自信と自己肯定感は実は関係ないのです。

これが腑に落ちれば、自信をつけようとがんばるのではなく、否定感をなくす努力をしたほうがよほど幸せに生きられることが分かるでしょう。

自信をつけるには相当な努力が必要になります。

私が球技で自信を持つには、センスを補って余りある努力をする必要があるので、莫大な時間とエネルギーが必要でしょう。

それでも失敗したときは、自信を失って落ち込むでしょう。

自信にこだわると楽しめなくなる

そもそも、球技の目的は楽しむためです。
より楽しみたいがために上達しようとがんばります。
上達しなければ楽しめないわけではありません。

否定感が前提にあれば、上達することが目的にすり替わってしまいます。
この状態では楽しめません。

ですが、否定感がなければ、下手なりに楽しみます。
下手な人が上達するとき、それは結果としては大したことはありませんが、うれしさはとても大きいものです。

自己信頼感について

もう一つ、自己肯定感について大事なポイントを説明します。

ここでは自己肯定感ではなく、自己信頼感という言葉を使います。

ほとんど同じ意味ですが、自己信頼感とは、自分のことをどれだけ信頼しているかという指標です。

自己信頼感は自分の感覚をどれだけ自信をもって信頼できるかではない

×自己信頼感が高い=自信がある
×自己信頼感が高い=自分の感覚に正しいという確信がある

ということではありません。

これは多くの人が誤解しているのではないでしょうか。

〇自己信頼感が高い=正しかろうが間違っていようが自分の感覚を大切にする

ということです。

ここの違いもとても大切なポイントです。

正しさを基準にする限り自己信頼感を高めるのは至難の業

正しさを基準にすると、いつまで経っても自己信頼感は高まらないでしょう。

なぜなら、正しさを競ってもまず勝てないからです。

正しさで言えば、私の意見は穴だらけだと思います。
正論が得意な人には勝てませんし、正しさで言えば、そもそも人間全員がAIに勝てません。
正しい結論を導き出すのはAIのほうが圧倒的に得意分野です。

ビックデータを解析した答えには、個人の狭い経験など太刀打ちできるはずもありません。
知識量も圧倒的に違います。

世の中にはカリスマ的な人がいます。
こういった人は言葉がうまく、知性も高く、納得いく意見を発するため、盲目的に信じてしまいます。

正しさを前に自分の感覚は一瞬にして封じられる

このとき、自分の感覚は一瞬で抑圧されます。
違和感があっても、気づきません。

自分がどうしたいか、どう思うか、どう感じるかは抑えられてしまいます。

この状態は、私の自己信頼感の定義では、自己信頼感が低いということになります。

自分の感覚を全然大切にしていない状態ですから。

自己信頼感を高めるには、正しさの基準から離れる必要がある

正しさとか、真実か否かとか、価値があるかどうかとか、権威とか、大多数が支持しているとか、そういったことを基準にしている限り、自己信頼感は低いままです。

自己信頼感を高めるには、これらの基準から離れる必要があります。

これらの基準を自己信頼感の源にしているから、正しさに固執するのです。
真実や価値に固執します。

正しさや真実を追い求めることを否定しているわけではない

真実や価値や正しさが大事ではないと言っているわけではありません。

それらは素晴らしいものです。

ですが、自己信頼感と正しいか否かは全く関係ないものだということを理解する必要があります。

誰が何と言おうが、自分の感覚を大切にすること

私は自分の感覚に自信はありません。

間違っていることだらけだと思いますよ。

自分の意見に自信などありません。

でも、私は自分の感覚を最優先します。

カリスマ性のある人がいくら納得のいくことを言おうが、自分の感覚のほうを大切にします。

自分の感覚が間違っていたら、それはありがたい気づきです。

感覚を修正していきます。

するとより感覚に自信を持てるようになります。

その繰り返しです。

自分の感覚を大切にするのが当たり前の状態

その結果、以前よりも自分の感覚に自信が持てるようになりました。
それでも、自分の感覚に自信はたいしてありません。

自信があるけれど自信がないという妙な感じです。
ソクラテスの「無知の知」に例えるのはおこがましいですが、そんな感覚に近いと思います。

自分の感覚にもっと自信を持ちたいとか、自分の感覚を磨きたいとか、そういった衝動もあまりありません。

自分の感覚を大切するのがただ当たり前になっているだけです。

正しさに固執するのは間違ったときの心の痛みを処理していないから

間違ったら間違ったで、修正すればいいだけなんです。

否定感がなければすごくシンプルです。

でも、それが淡々とできないのは、間違ったときの苦しみを処理できていないからです。

その恐れにとらわれているから否定感に苦しめられます。

処理の仕方が分からなければ処理の仕方を学んでくださいね。

確かに間違ったら感情的には痛いです。

それを恐れると、間違わないようにと正しさや自信に固執してしまいます。

結果、いつまで経っても自己信頼感は高まりません。

自分の感覚を大切にする icon-arrow-circle-right 間違う icon-arrow-circle-right 心の痛みを処理する icon-arrow-circle-right 修正する

ただそれだけのプロセスです。

ここで、自分の感覚を信頼できるまで高めようとすると、相当長い年月がかかるでしょう。

そうではなく、ただ、今の自分の感覚を信頼しさえすればよいのです。

実はすごく簡単です。

何かを成し遂げることなど必要ありません。

「誰が何と言おうが、私がこう思うからこう思う」

「誰が何と言おうが、私がこう感じるからこう感じる」

「誰が何と言おうが、私がこうしたいからこうする」

これが自己信頼感であり、自己肯定感であり、揺らぎない真の自信とも言えるでしょう。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

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