ブログ記事「敏感な人が人間関係の恐怖をやわらげる3つの方法」では、下記の3つの方法を紹介しました。
- ①元々の敏感な資質を受容する(否定しない)
- ②敏感さを過剰に強めている心の傷(トラウマなど)を癒す
- ③境界線を引く練習をし、無意識に他者の領域に入る癖から抜け出す
私の個人的な体験
補足として、私の個人的な体験を紹介したいと思います。
HSP(Highly Sensitive Person:高度に感受性の強い人・敏感な人・繊細な人)
私自身、とても敏感な資質を持っています。
いわゆるHSP(Highly Sensitive Person:高度に感受性の強い人・敏感な人・繊細な人)です。
HSPは特に珍しくはなく、5人に1人はHSPと言われています。
HSPの人たちは敏感なので生きづらさを抱えていることが多いです。
HSPでも敏感なところと鈍感なところは人によって違う
ただ、一概に敏感といっても、敏感な部分と敏感ではない部分が必ずあります。
全部に敏感というわけではありません。
自分の身を脅かすものは敏感で、そうでないものは敏感にはなりません。
何に不安を感じやすいか、何に楽観的かは人によって違います。
私は、怒っている人や愚痴っぽい人、批判する人に対しては敏感です。
権力者とか、不良とか、そういう人に対しては、他の人よりも鈍感かもしれません。
あと、他人の洋服が違うとか、髪を切ったとかそういうことはめっぽう鈍感です(笑)
また、私は不安体質で、準備とか念入りにする一方、遠い将来のことに関してはほとんど不安がありません。
人と不安のポイントがズレているのを何度か実感したことがあります。
境界線越えを日常的にやっていた
私は敏感な資質を持っていたので、他者の気持ちを読み取ったり、空気を読むのが得意でした。
いい意味でいえば、他者への思いやりがありました。
悪い意味でいえば、他者を気にしすぎでした。
相手の境界線に入ることを日常的にやっていました。
同時に自分の領域から離れているので、自分を見失っているわけですね
そういった資質があったので、あまり敵は作らなかったです。
ケンカをすることはめったになかったです。
とはいえ、内向的な性格なので、友達はそう多くはなかったです。
私の場合は、危険を避けることを一生懸命やってきたので、対人関係の大きなトラウマは起きませんでした。
トラウマがあって、敏感になったというよりも、危険を避けるという防衛行為自体に疲れて、生きづらかったというふうに思います。
私が強く抑圧していたもの
私の中で強く抑圧していたのは、「弱さ」でした。
繊細さは弱さと解釈できます。
そのため、繊細な自分であることを認めたくありませんでした。
なので、弱さ、繊細さを隠しました。
心の傷を負ったときも、それを人に話さず、抑圧したり、妄想などで処理していました。
鈍感になれたり、強くなれたらよかったのですが、資質自体が敏感なのでそうはなれないことは分かっていました。
なので、鈍感になることに努力を割きませんでした。
危険を回避するほうに努力を割きました。
相手から批判されなかったり、嫌われないようになるには、どうすればいいのかというのを子どもなりに実行していたのだと思います。
私はかつて完璧主義でしたが、完璧であれば、危険を回避できるので、自分への要求水準が非常に高かったです。
また、社会的地位が高ければ、批判されにくいと考えていたので、社会的地位を高めようとしました。
お金があれば、不安な状況に遭いにくいので、お金も必要以上に稼がなければと思っていました。
私は運動面は全然ダメで、頭の方はそこそこだったので、そっちのほうでがんばるしかありませんでした。
親の期待もあって、いい大学に行くということを小さいころから目指していたように思います。
高校生のときにまったく勉強が手につかなくなって、子どものころ望んでいた理想とは離れていきました
ひとかどの人間になるということを子どものころから意識していました。
今思うと、危険を回避したいという欲求と、自己価値の低さの裏返しだと実感しています。
私はこんなふうにワークをしてきた
私は、自己ワークを結構やりましたが、はじめはコンプレックスをテーマにやっていきました。
分かりやすかったので。
容姿や身体のこととか、運動神経とか、そういったものを受け入れるようなワークをしていきました。
無理やり受け入れるのではなく、コンプレックスにかかわる傷を癒すことで自然にどうでもよくなりました。
性質面もいろいろワークしました。
受け入れることに苦戦したもの
結構時間がかかったのは、「弱さ」とか、「自分勝手さ」ですね。
「弱さ」は自分が嫌っていた側面を受け入れることをやっていくうちに、自然に弱まっていきました。
「自分勝手さ」は強敵でした!
まだ残党と格闘中ではありますが、「人間は自分勝手でしかあり得ない」ということが腑に落ち、闘いは終結を迎えつつあります。
コアにあるものほど時間がかかります。
今は、自分の繊細な資質、不安体質自体を否定的に見ていません。
「恐がり」「臆病」「ビビリ」「女々しい」「しょぼい」などという言葉もあまり反応しません。
昔はいろんな要素に強く反応していた
昔は、すごく反応していました。
25歳くらいのときですが、ある女性に「弱そう」と言われて、すごくショックを受けました。
タイプの人だっただけに余計にショックでした(笑)
あと、昔から「女っぽい顔」と言われていました。
それも嫌だったですね。
強さへのあこがれがあったので、格闘技や格闘マンガを見るのは大好きです。
自分でも武道とかボクシングとかやりたいと思っていたのですが、私の性質の中で「めんどくさがり」というのも結構大きいので、肉体的に強くなるということはあまり労力を割きませんでした。
筋トレを始めてもいつも3日坊主でした。
恐がりでしたが、根性もなかったです。
ちなみに「めんどくさがり」「なまけもの」「根性なし」という資質もかつてはかなりバッシングしていましたので、ワークやりましたよ。
めんどくさがりな人、怠け者の人を見ても、今はあまり反応しなくなりました。
否定している要素を受け入れるとグッと楽になる
繊細さを受け入れられると、恐がることを恐れなくなるので、恐怖自体のレベルも落ちました。
かつてはかなりビビッていた場面もビビらなくなってきました。
だからといって、全部のケースでビビらなくなったわけではなくて、やっぱり繊細なので、すごくビビることもあります。
でも、自己批判のストーリーに陥らなくなったので、タッピングで解放しておしまいです。
繊細さを否定していたときは、ビビっている自分は弱いと思い、情けなさや絶望感、怒りなどを感じていました。
妄想のストーリーに逃避したり、自己嫌悪に陥って、さらにその感情を抑圧しようとしたので、よく分からない不快感、スッキリしない感覚にイラついていました。
私は、自分のネガティブな要素を否定していたことがかなりの苦しみを生んでいたので、それを緩める意義というのを実感しています。
なので、ブログでもそういうメッセージが強くなるのでしょう。
境界線を引けるようになったきっかけ
境界線を引くことについては、他人の感情のケアを常に無意識でやっているということを心から実感したときに、大きな変化があったと思います。
それまでは頭で分かっていても、実感があまりなかったです。
でも、「私はいつも相手の感情をケアしてるのが当たり前の状態だった」と気づいてから、境界線を引く大切さをより強く実感しました。
相手の感情をケアするというのは、実際の行動でやっているわけではありません。相手の感情を推し量ったり、相手の立場を思いやって想像しているとき、他者の領域に入っています。
それからは「気づいたら離れる」「気づいたら自分の領域に戻る」をやるだけです。
ちなみに境界線を越えていることに気づくには、分離の観点を持つとよいです。
自分の思考に同化しているとなかなか気づけません。
思考に気づく練習をしていれば、思考に気づきやすくなるので、境界線を越えていることにも気づきやすくなります。
慣れです。
ワーク後の変化
こんな感じで、敏感な資質を受け入れてきました。
境界線を引けるようになりました。
すると、以前は「ない」と思っていた要素が出てきました。
今では打たれ強くなったと思います。
鈍感さを感じる面が増えました。
仮に敏感に反応しても、それを否定せず受け入れられるので、ショックからも早く解放されます。
気になっても、長引きません。
以前はあれほど引きずっていたのに、大きな変化です。