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“ありのままを受け入れる”の誤解

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前のブログ記事でLGBTについて書いたところ、コメントにロリコンはどうかというメッセージを頂きました。

「ありのまま」というとどこまでが「ありのまま」なのか迷うところだと思います。誤解している方も多いと思われますので、より理解してもらうために、もう少し書いていきます。

ありのままとは?

ありのままというのは、本来持っているその人の自然なあり方のことです。

LGBTというのは持って生まれた自然なものだと私は受け取っています。基本的には心の問題でそうなっているのではないと理解しています。

たとえば、極度の男性不信からレズビアンになっているというようなケースもあり、心の問題でそうなっていることもあるでしょう。

持って生まれた自然なものであれば、それが個性なのです。それを隠して生きると苦しくなります。恋愛を隠れてしなければならなくなるでしょうし、何らかの引け目やうしろめたさを感じながら人間関係を送るのは大変です。

ありのままを受け入れるとはオープンにすることではない

ありのままを受け入れるというのは、ありのままをオープンにしなさいと言うことではありません。隠し事をしないということではありません。

たとえば、LGBTであれば、現状の社会では言わないほうがよい場面もたくさんあります。そういうところでわざわざ言う必要はありません。言って自分が不利になるようなことであれば黙っておけばいいと思います。
LGBTに嫌悪感を持っている人の前では隠しておいたほうが人間関係はスムーズに行くでしょう。
ただ、本音を話したいような人との間ではオープンにできたらお互い楽ですよね。もし、離れていくようであれば所詮、それまでの関係です。

オープンにし過ぎるのも不自然

自分の中でLGBTを受け入れている状態、つまり、恥じていない状態であれば、後は臨機応変に振る舞えばよいのです。あえて皆に宣言するということもできますが、それもまた不自然に思います。

たとえば、自分で頭が悪いと思っているとします。それを何とも思っていないとします。
「私は頭が悪いんです」とあえて皆に言いまわることはしないと思うんです。必要なときだけ言うのが自然です。
なので、ありのままを受け入れるとは、ありのままをオープンにするということではありません。

オープンにする方がより自然になれるというのであればオープンにしていいと思います

LGBTは性癖ではない

あと、LGBTは性癖ではないと私は捉えています。性癖は性的な好みのことで、性同一性障害の方とは区別して扱う必要があると思います。

性癖は個性?

では、性癖の話に移りますが、私は性癖を個性と呼ぶのは何かしっくりきません。性癖のメカニズムを学んだことはありませんが、心の問題が結構関係しているような気がします。
性癖にはノーマルとアブノーマルがあって、ノーマルな性癖は好みの問題が強く、アブノーマルは好みの問題よりも心理的な何らかの抑圧の問題のような気がします。

まあ、個性かどうかは置いておいても、性癖は秘め事だからそもそも他者にオープンにする必要がありません。
それをオープンにすると不快な人も出てくると思います。あと、性は対象が大人ですよね。なので、オープンにすると知る必要がない層(子ども)にも伝わってしまうので、オープン反対です。

個人的にコンビニに成人向け雑誌が置いてあるのは嫌ですね

お互いの同意のもとで他の人に迷惑をかけない範囲で楽しむのは何も問題がないと思います。
一方が強制するというのはダメですが、お互いの同意で楽しむのは好きにやればいいと思います。

ロリコンは思うのは自由だが行為はNG

ただ、ロリコンはその中でも特殊なんですね。というのが、そもそも子どもを性の対象にするというのが犯罪です。お互いの同意というのがそもそも成り立たないものなので、ロリコン行為はNG以外の何物でもありません。
仮に子どもが同意したとしても、大人の同意とは違います。社会的制裁を受けるのも当然です。

抑圧すると余計に執着してしまう

もし、ロリコン趣味があったとしましょう。その場合、絶対に出してはいけないので抑圧しようとします。無きものにしようとします。
すると余計に執着してしまいます。

心の大原則:抑圧すればするほど、思いが強くなる

だとすると、抑圧はNGです。あるものは認めちゃいます。認めてきちんと消化すればそういう衝動はなくなります。イメージで処理するのは何も問題ないのです。だってそれは誰にも迷惑をかけていないじゃないですか?
そういう思いを持つ私は変態だ、ダメだ、と思うから余計にその思いに縛られるのです。

イメージと実行は天と地の差がある

イメージで思うのと、実行するのはまったく違います。前者は何も他者に迷惑をかけていません。しかし、後者は犯罪でやってはいけない行為です。前者と後者を一緒にするとおかしなことになります。
抑圧が行き過ぎて限界まで来るからおかしな行動に出てしまうのです。
なので、社会的に強く抑圧を強いるのは逆効果です。

ロリコン衝動があったとしたら、あるものはもう仕方がありません。それをなしにはできません。でも、それを出すことは犯罪ですから、自分の中に秘めて、その衝動をイメージで処理すればその衝動はなくなります。

でも、今の社会はその衝動さえ非難されるのかもしれません。

どんな衝動もきちんと認めてあげること

衝動があるのなら、それはどうしようもないので、きちんと認め、その衝動にちゃんと向き合って、心の中でしっかり話を聞いてあげるんです。

詳しい仕組みを学んでいないので私の勝手な推測ですが、アブノーマル性癖は心の奥に何らかの抑圧が関わっているように思います。ロリコン衝動を見ていくと、認められたいという強いニーズ(=認められなかった悲しみなどの感情もセット)などといった抑圧されたものが奥にあると思います。

そこを見ていって癒していくと、自然となくなるように思います。

ロリコン衝動は一つの例として挙げただけでどんな衝動も同じです。
誰かがいないと不安だとか、上の立場に立たないと気が済まないとか、特定の食べ物や行為への衝動とかも同じです。

何度も言いますが、衝動を抑圧すればするほど、それは強く、力を持つことになります。
抑圧は逆効果です。
まずは衝動そのものがあることを認めましょう。

ありのままは暴力も認めること?

あと、ありのままを認めるというと、「では暴力も認めるのか、犯罪も認めるのか」と言う人もいます。

いやいや、それはその人の「ありのまま=自然なあり方」から離れていますよね。

その人の自然な状態のときに暴力振るいますか? 犯罪しようとしますか?
不自然だから暴力を振るうのです。犯罪を犯すのです。

ありのままの状態、自然な状態を実感が難しいかもしれませんが、何となくでもいいので、自分の中に完璧なる愛や安心感があるとイメージしてみてください。そのときに自然に起こる衝動がありのままです。本来の自分の自然なあり方です。

「ありのまま」と「そのまま」の違いについては下記をご覧ください。

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自然なあり方は他者も自分も尊重する

他者の自由意思を尊重することはごく自然なあり方です。
かといって、自分を犠牲にして、相手の自由意思だけ尊重するのは不自然です。これが前のブログで書いた「自己犠牲の愛」ですね。
そうではなく、自分も相手もお互いの自由意思を尊重するあり方や社会が自然な社会だと思います。

社会は個人のあり方を反映している

社会が不自然なのは、それを構成している個人が不自然だからです。
なので、根本的な解決法は、社会制度の改革ではないと思います。形だけ変えても意味がありません。
個人のあり方を変えるしかありません。

逆に言えば、個人のあり方さえ変えれば、ふさわしい社会に自然になると信じています。だから私は「個人のあり方」を変えられるようブログなどで発信しています

自然なあり方を妨げているのが「抑圧」

自分の自然なあり方、ありのままのあり方を妨げているのが「抑圧」です。
制限している思いや恐怖です。

なので、自分の中で抑圧しているものを緩めていくことを提唱しています。

抑圧は投影から見つけていくのが容易

では、それをどうやって見つけたらいいかというと、「投影」から見つけていくのがやりやすいです。
自分が抑圧しているものを他者に投影し、映し出します。
そして、他者批判をしているわけですが、そのメカニズムを理解すると、それは他者の問題ではなく、自分の問題であることが腑に落ちます。
他者批判や自己批判は無意味であることが腑に落ちます。

自分の問題というのは、自分が悪いと言っているわけはありません。他者に見ている嫌なものを自分が抑圧しているということを教えてくれているというだけのことです。

たとえば、周りの意向を無視して自分勝手に強引に押し通すさまに強い不快感を感じているとします。簡単に言えば、加害者になることや自分の中にある男性性的な要素を抑圧していることになります。そうするとどうしても押しや自己主張が弱くなります。人に迷惑をかけることができなくなります。人に気を使うようになります。

あくまで例として受け取ってください。人によって何を抑圧しているか、どう反応が出るかが違いますが、分かりやすく書くために断定的に書かざるを得ないことをご理解ください。

すると、自分らしく生きることができなくなります。自分よりも他者を優先してしまいがちで、自分が我慢をする、犠牲になるという人生を歩んでしまいます。
「なんかいつも被害者になる」「人生が報われない」と思うのも当然です。

抑圧していたものが宝と気づくプロセス

投影から自分が抑圧している要素を見つけ、それを受け入れることができたら、今後の人生では、男性性的な強さも自由に使えるようになります。

受け入れるにはEFTやRFTなどのセラピーが有効です。

受け入れるというのは、無理やり受け入れようとするわけではありません。それは無理です。
そうではなく、否定していた誤解を解くというほうが適切です。セラピーはそれを促すプロセスと言えます。

たとえば、感情解放は自分をニュートラルな状態に持っていき、その視点でこれまで否定していた要素を見ると、それが悪いものではなく、むしろ必要だった、感謝の対象だったと気づき、受容が自然に起こります。
このプロセスは自身の中に愛や安心感を増やし、自己愛が高まります。

今まで抑圧して抑え込んでいた要素――ここでの例は男性性的な強さ――を今後は自然に出せるようになります。そうすると、自分と他者を尊重しながら毅然と対応できたり、もっと自己主張ができたり、他者を恐れず勇気を持っていろんな行動やチャレンジができるようになったりします。
今まで抑圧していたこの要素は自分にとって必要不可欠なものだったんだと気づきます。

これが今まで否定していた自分の要素を使うということです。今まで抑圧していたものは宝だったと気づくプロセスです。

抑圧したものを受け入れるとその通りになるわけではない

そうするともっと、周りを気にせずにやりたいことができたり、自己主張できたりしますが、他者をないがしろにするということではありません。
相手の迷惑を省みず自分勝手に振る舞うことや暴力を振るうこと、暴言を吐くことではありません。
自己愛が高まっているわけですから、そういう衝動は出ないです。

なので、「抑圧しているものを受け入れてもその通りになるわけではない」と私はしばしば言っています。

ここをなかなか理解してもらえないことがよくあります。頭で理解して文字通り受け取ると、そういう恐れを持つかもしれませんが、きちんと理解していただくとそうではないことが分かるはずです。

そして、自分を大切にすればするほど、自分の中に余裕ができるのと、自己愛が育まれるので、行動のベースが愛になります。むしろこれまでよりも他者を尊重した行動ができるようになります。

抑圧を解くと、ありのままがでてきます。
自然な流れを制限しているのが「抑圧」とも言い換えられます。

私たちはいろんなものを抑圧しているので(特にネガティブな要素)、それらを見つけ、受け入れられるとどんどん自由になっていきますよ!

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

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