ボクは昔、大のカープファンでした。
一番ピークだったのが、1991年、もう今から23年も前のことになります。
広島東洋カープが優勝した年です。
このころは、カープの試合は毎回応援していました。
テレビがあればもちろん、そのあとはラジオ中継を聞いて応援していました。
また、勝った日は全スポーツニュースを見ていました。
勝ったときはものすごいテンションが上がり、負けたときはものすごいショックでした。
ストッパーの大野豊選手のファンで、当時14試合連続セーブの日本記録更新中で、15試合目の抑えで巨人のブラッドリーにサヨナラホームランを打たれたときのことは今でも覚えています。
ラジオで聞きながらボー然となりました。
本当にショックでした。
その年以来、カープは優勝には無縁で、ボクもいつの間にか熱が冷めていきました。
もう何年もカープの試合を見ておらず、今はほとんどのカープ選手の顔さえ知りません。
なぜ、この話を出したかというと、カープの調子が今年は良かったとかクライマックスシリーズで敗退したとかそういうことではありません。
うれしさと悔しさってある意味表裏一体なんです。
今はカープが負けてもほとんどショックはありません。
勝ったのを見るとうれしいですが、そこまでうれしいわけではありません。
うれしさとショックには、執着の度合いが大きく影響しているんです。
なので、執着自体は別に悪いことではありません。
ショックも大きいですが、その分喜びも大きいのです。
なので、何でもかんでもネガティブなものを取り除けばいいというものではありません。
ポジティブとネガティブは表裏一体であり、両方あるのが当たり前なのです。
そこをきちんと踏まえたうえで、執着が苦しみを生んでいる構図も理解する必要があります。
昔、ボクがカープの勝敗に一喜一憂していたときは、カープとまさに同化していました。
まあ、スポーツであれば、そうデメリットがないかもしれません。
でも、パートナーであればどうでしょう?
あまりに執着が強すぎると、相手のことをすごく気にしすぎてしまい、相手に振り回されます。
フラれたときのショックは計り知れないでしょう。
仕事の場合はどうでしょう?
生きがいになる半面、世界がそれだけになってしまい、うまくいっていないときの苦しみはとてつもないものになるでしょう。
バランスが必要です。
過度な執着は、メリットよりもデメリットの方が大きくなりがちなので、緩めることも必要でしょう。
また、自分以外との同化は、自分がコントロールできないものとの同化なのでストレスがたまりやすくなります。
ここに気づいていないと、境界線越えの苦しみを味わうことになります。
子どもの人生との同化とか。
ただ、執着、同化は、そこに何かひきつけるものがあるから起こります。
好きなスポーツとかパートナーとか仕事だと分かりやすいですね。
でも、一見理解しにくいものでも構図は同じです。
たとえば、ネガティブな自分に執着、同化することも。
これは、メリットよりもデメリットの方がはるかに大きくなります。
でも、何らかのひきつけるものがあるから、執着しているんですね。
それは何でしょう?
それこそ、あなたがネガティブな自分を手放せない理由です。