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否定しているものを受け入れるとそうなってしまうという誤解

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抑圧している要素を受け入れるとその要素のようになってしまうという誤解

私たちは自分が持っているたくさんの要素を否定しています。
結果、ありのままの自分から遠ざかっています。
そのため、自分が否定・抑圧している要素を受け入れる必要がありますが、それが有意義だということを頭で理解してもなかなか受け入れようとしないものです。

その大きな理由の一つに、抑圧している要素を受け入れるとその要素のようになってしまうという誤解があります。

  • たとえば、「バカ」という要素を抑圧しているとき、バカを受け入れたら本当にバカになってしまうと信じています。
  • 「無能」を抑圧しているとき、無能を認めてしまったら本当に無能な人になってしまうと信じています。
  • 「無力」を抑圧しているとき、無力を認めてしまったら本当に無力になってしまうと信じています。
  • 「暗さ」を抑圧しているとき、暗さを認めてしまったら本当に暗い人間になってしまうと信じています。

その要素を避けるための行動が苦しみの大きな原因

それを否定し、そうならないようにすることがこれまでの人生の原動力でした。
バカを避け、一生懸命がんばり、人に認められるようになることでバカにされないようになろうとするのです。
そして、バカにされたと解釈したときはひどい苦しみに陥りますが、そこに向き合うのは苦しいため、いろいろな方法を使って抑圧します。言葉を変えれば、見ないふりをしてごまかすのです。

何かを抑圧しているとき、そこから生じる一連の行動が自分自身の生き方を大きく制限します。

人生の質を大きく下げているのはこれらの行動です。そしてその元になっているのはある要素の抑圧です。
抑圧の度合いが大きく、またそういったものがたくさんあればあるほど、制限が増えます。

抑圧した要素を受け入れたら本当にそうなるのかを想像してみる

さて、バカを受け入れたら本当にバカになってしまうのでしょうか?
無能を受け入れたら本当に無能になってしまうのでしょうか?

一番よいのはそれを受け入れたときに本当にそうなのかを体験してもらい、そうじゃなかったと自分の感覚で気づいてもらうことなのですが、そもそも受け入れたくないのでそういうわけにもいきません。
しかし、実際に体験しなくても想像はできると思います。この想像が大切なのです。

バカを受け入れたらどうなると思いますか?
バカがピンとこない人は自分が抑圧しているものを当てはめてみてください。

よく想像してみてください。
実際にバカを受け入れたときに本当にバカになるのかどうかをイメージしてみてください。

この作業が重要です。

バカを受け入れたからバカになるわけではないことが分かると思います。
無能を受け入れたから無能になるわけではないことが分かると思います。
そして、それを受け入れたら努力しなくなるかというとそうではないことも分かると思います。

抑圧した要素を受け入れてもそうなるわけではない

私たちは今、何かをしているはずです。
この行動が止むことはありません。
何かしらの行動や結果に「無能」「バカ」などの解釈をすることで苦しみます。

では、この解釈がなければどうなるでしょうか?

ただ、自然に振る舞うだけです。
「だらしなさ」を受け入れたらずっとだらしなくなることはありません。

それは不自然です。
ずっとがんばることも、ずっと休むことも両方不自然で、もし何の制約もない自然体であれば、がんばりたいときにはがんばる、休みたいときには休むだけです。
そこにネガティブな判断があるとき、不自然な行動になります。

自分への制約が不自然な自分を生む

もし、何も制約がなければ、自然体にふるまうはずです。
しかし、何らかの制約があるとき、自然体から外れます。

この制約になっている大きな要素が自己否定です。
つまり、自分の何らかの要素を否定し、抑圧していることです。

だからセルフラブが高い(=ありのままの自分を受け入れている)ほど自然な自分、等身大の自分で生きられます。自らのハートのままに生きることができます。

セルフラブが低い(抑圧した自分の要素がたくさんある)ほど自然な自分から離れ、こうあるべきという生き方に縛られてしまいます。

ここでチャレンジになるのはネガティブな自分の受容です。

ポジティブ・ネガティブ両方あるのが自然

賢い自分もいれば、バカな自分も両方あるのが自然な人です。
堂々とバカを受け入れられるから恥じることなく学ぼうとするのではないでしょうか。より賢くなれると思います。

できる自分もいれば、できない自分もいるのが自然な人です。
できないことをできないと認めることができるから、自分ができることに集中できるのではないでしょうか。
できない自分を否定していると、何もかもできないといけないと思い行動するのでエネルギーの無駄遣いをしてしまいます。結果、できることに集中できずに中途半端に終わります。そして無能感をより強めてしまうのです。

無力感も大切な要素です。パワフルな自分もパワレスな自分も両方あるのが自然な人です。
無力を受け入れられるから、自分の役割ではないことや不得意なところ、やりたくないことは誰かに任せて、自分がやるべきことを精いっぱいやれるのではないでしょうか。結果的にパワフルな自分が出てくるでしょう。

抑圧している要素を受け入れることで反対の要素が花開くことが多い

これは逆説的ですが、抑圧している要素を受け入れることで、その反対の要素が花開くケースが多く見られます。
逆に、抑圧している要素とは逆方向を目指してがんばってもその要素が手に入らないケースも多く見られます。

バカな自分を受け入れることで賢い自分が出てくることは多く、一方、バカな自分になりたくないから賢い自分を目指してもなかなかそうならないことは多いです。

自分が自分らしくあるためには闇や悪の要素が不可欠

なぜ、私が抑圧している要素を受け入れようと主張するかということですが、それが自分らしくあるために欠かせないからです。

自分が自分らしくあるためには自分が闇や悪だと思っている要素が不可欠です。

闇とか悪というのは、自分が抑圧している要素、つまり、自分が見たくない要素、嫌っている要素のことです。
それを比喩的に表現したものです。
何を嫌うかは人それぞれなので、自分の闇と他者の闇はまったく違います。

たとえば、冷たさ、加害者、人を傷つける、怠け者、空気が読めないこと、自分勝手、傲慢さ、繊細さ、変わり者、無力、失敗などがあるでしょう。

しかし、これらは自分らしくあるためには必須の要素です。

  • 冷たさがあるから、自分がやるべきではないことを断れて、自分がやるべきことに集中できるのです。
  • 人を傷つけることを受容できるから、他者がどう思うかを気にせずに自分らしく振る舞えるのです。
  • 怠け者を受容できるから、必要な休みが取れて、自分のやりたいことに集中できる力を蓄えられるのです。
  • 空気が読めないからこそ、自分がやりたいことが自由にできるのです。
  • 自分勝手で傲慢だからこそ、自分がやりたいことを貫けます。
  • 繊細だからこそ、自分らしさを妨げるエネルギーを敏感に察知し、回避することで、自分らしさが保てるのです。
  • 変わり者を受容できるから、自分の個性を最大限発揮し、並外れた結果が出せるのです。
  • 無力を受容できるから、不得意なことは人に任せて、自分の役割に集中できるのです。
  • 失敗を受容できるから、自分がやりたいことをどんどんトライできるのです。

繰り返しますが、自分が自分らしくあるためにはこれらの要素が不可欠です。

これらの要素を抑圧しているから、不自由であることを理解することが重要です。

まずは頭でよいので、よく考えてみてください。
自分の人生と照らし合わせて、「もしかしたらそうかもしれない。今まで自分の中の正義や光を追求してきたが幸せではなかったし、うまく行かなかった。闇や悪を受け入れる道こそが、本当に欲しかったものを手に入れられるのかもしれない」と思えれば、自分に向き合う大きな原動力になります。

闇や悪を受け入れることをやるのは勇気がいります。とてつもなく勇気がいるでしょう。

一見、強く見える人間は闇や悪から逃げている人です。
弱さを受け入れている人は闇や悪に向き合った人です。
本当はどちらの方が強いでしょうか? 勇気があるでしょうか?

闇や悪がネガティブだという誤解に気づく

抑圧している闇や悪は、実は闇でも悪でもなんでもありません。本当はただの性質であり、そこにネガティブなレッテルを張っているだけに過ぎません。
闇や悪だと誤解をしているだけに過ぎません。

だからこそ、そこに向き合う必要があります。
向き合わないと誤解が解けないからです。自分で誤解をしていたことに気づくには、本当にそうなのかを真剣に向き合う必要があります。見たくなかった思いや感情に向かうのです。そうすれば、それらの要素を否定していた誤解が解けます。

そのとき、自由にその要素を使いこなすことができます。
そして、その要素のポジティブな面も浮き出てくるでしょう。
その要素の反対のポジティブな面も出てくるでしょう。

このとき、ポジティブやネガティブといったジャッジが外れます。
たとえば、賢さがポジティブで、無能さがネガティブだと思っていたとします。
無能さがダメなものだという誤解が解けたとき、それらのジャッジがなくなり、賢かろうが無能だろうがどうでもよくなります。

そのときただ自然体で振る舞えるのです。
ハートのままに生きられます。

自分らしく生きるために、本当に生きたい人生を送るために、やりたいことを貫くために、自分の使命を果たすためにも、自分が否定している要素に向き合って誤解を解くことが大事なのです!

自分らしく生きたい方にセルフワーク講座を強くオススメします。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

POSTED COMMENT

  1. なかざとゆみこ より:

    とてもよくわかりました。
    でも私の場合、遅刻する自分、時間に間に合う事ができない自分を、どう受容したらいいのでしょうか。
    この遅刻癖ではとても苦しんできました。
    遅刻すると悪いことだらけなので。
    それでも治りません。
    嗜癖問題相談所みたいな医療機関にかかって治せるものなら治したい。
    そうすれば遅刻することによる不利益は被らなくて済みますよね?
    遅刻していいわけない。
    信頼、給与、時間、遅刻しないで行けたとゆう達成感、相手を待たせなくて済んだとゆう安堵感、などなど、遅刻する事で失ってしまった物を失わなくて済みますもの。

    • なかざとゆみこさま

      こんにちは。よっし~です。

      コメントありがとうございます。

      このご質問に答えるにはかなりの文章量を要するため、ブログ記事でお答えします。

      どうぞよろしくお願いします。

      よっし~(西川佳宏)

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